弥谷寺(いやだに寺)
創建と名前の由来
今からおよそ1300年前。当時蔓延した天然痘降伏の為、行基菩薩が堂宇を建立し、聖武天皇の勅願により、皇后光明子の経典を奉納し寺院を創建しました。
その後、大師7才の砌学問に励まれ、大同2年再度登壇のち獅子窟(獅子之岩屋)にて護摩を修し、満願の日、蔵王権現のお告げにより、五柄の剣と唐にて恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺(仏教では仏の住む山を弥山(みせん)と呼び、弥谷は仏の谷という意味とされる)に改めたと伝わります。
霊山信仰とお水まつり
弥谷山は、古来より霊山(弥山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場(恐山・臼杵磨崖仏・弥谷山)の一つに数えられたといわれます。
弥谷山では、水場の洞窟が神仏の世界(弥山)への入口としてつよく信仰されたといわれ、修行僧により刻まれた磨崖仏や修行の洞窟が今も山内にまつられています。
お水まつりは、水場の洞窟で真言の書かれた経木を洗い清め願掛けする事で、お地蔵さまが、霊山に住む神仏に願いを届けるといわれています。
獅子之岩屋(大師堂の奥)
獅子岩屋の偈頌
「信心発せば その身に難儀あろうろも 獅子ノ御口がくいつぶし 身心清浄ならしめたもう」
大師堂の堂内奥にあり、厄災消済や病気に霊験ありとされます。また、昔の文献には、明星之窓の伝説とともに弘法大師御学問所とも記されています。奥之院本尊は厄除大師、両脇に母君・父君、岩肌に摩崖仏が刻まれています。
霊場有数の難所
弥谷寺は霊場有数の難所で知られ病厄に霊験ありといわれてまいりました。境内口から山頂の本堂迄はおよそ570段の石段が続き、健康で歩けることをおかげと発心頂き参拝すれば、ご本尊様やお大師様によりお導き頂けるといわます。
蓮華院八国寺から弥谷寺へ
弘法大師が真魚と呼ばれた幼少の頃、天応1年(781)から延暦5年(786)まで寺院の前身である蓮華院八国寺(八王山)で勉学に励んだと伝わり、唐から帰国の大同2年(807)再度獅子窟に籠り千座の護摩を修し、満願の日、蔵王権現のお告げをきき五柄の剣と唐にて恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴(国指定重要文化財)を納め、山号を剣五山、寺名を神仏の谷の寺として弥谷寺に改めたと伝わります。
宥沢法印によれば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院・西院・中尊院及び弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊・海印坊・納涼坊ありと記され、当時としては非常に大きな寺院であった事が分かりますが、天正の兵火により現在は中尊院のみとなっています。
洞地蔵尊(ほらぢぞうそん)
首から上の病におかげがあるといわれます。獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内より参拝でき、座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができない石仏のお地蔵様です。弘化年間の中国名所図絵には、洞ノ薬師と洞ノ地蔵と描かれていますが、現在は洞地蔵のみ参拝する事ができます。
十六大菩薩最後の一尊です ※2 金剛拳菩薩
十六大菩薩の最後に位置し、成就を司るといわれます。弥谷寺では病に御利益があると昔からいわれ「かなぶつさん」と呼ばれ信仰されてきました。元禄年間に二十年かけ造立されました。
108の階段 ※3 百八階段
仏教では、煩悩を抑える事で四苦八苦(現世の災厄)から救われるとされる事から百八階段と呼ばれています。
1、一年を意味する(道教)。
・七十二候(しちじゅうにこう):72。 ・二十四節気(にじゅうしせっき):24。 ・月の数:12。
これらの合計が108になる事から1年を意味する。
2、四苦八苦(民俗信仰・仏教)。
・四×九+八×九が108。
※根本の生・老・病・死の苦を四苦と呼び、愛別離苦 ・怨憎会苦 ・求不得苦・五蘊盛苦の四つを加へ八苦とし、この世の苦しみを指す。 仏教では、苦は煩悩から生まれると考える為、煩悩を打ち払う事で四苦八苦を除き厄災を払うとする。
3、煩悩の数(仏教)。
108煩悩=根本煩悩88+枝末煩悩20。
※根本煩悩:人から菩薩を目指す過程で滅する煩悩。 枝末煩悩:菩薩から如来を目指す過程で滅する煩悩。